2016年1月〜12月まで放送されたドラマ「真田丸」。NHK大河ドラマ第55作です。
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目次
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ドラマ「真田丸」は2016年にNHKで放送されたNHK大河ドラマです。
NHK大河ドラマ第55作、主演は堺雅人です。
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ドラマ「真田丸」の紹介
タイトル | 真田丸 |
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あらすじ | 豊臣と徳川の和睦の後、真田丸は取り壊され、大坂城は堀も埋め立てられてしまう。家康との頭脳戦が展開する中、幸村は不思議な型の銃を手に入れる。引用元:TSUTAYA DISCAS |
キャスト 声優 |
真田信繁:堺雅人 真田信之:大泉洋 真田昌幸:草刈正雄 薫:高畑淳子 とり:草笛光子 松:木村佳乃 矢沢三十郎頼幸:迫田孝也 梅:黒木華 真田信尹:栗原英雄 矢沢頼綱:綾田俊樹 こう:長野里美 稲:吉田羊 すえ:恒松祐里 春:松岡茉優 たか:岸井ゆきの |
制作会社 | 日本放送協会 |
話数 | 全50話 |
放送期間 (放映日) |
2016年1月10日~12月18日 | リンク | NHK 大河ドラマ「真田丸」 Wikipedia |
ドラマ「真田丸」の公式動画・予告動画
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『真田丸』話数別あらすじ
信繁青春編(第1 – 13回)
武田家中の国衆であった真田家は主家・武田家の滅亡によって乱世の大海原に放り出された。信繁は父昌幸、兄信幸と共に、真田家生き残りの道を模索。昌幸は敢えて武田を滅ぼした信長に仕える道を選び、信繁たちの姉松を人質として安土に送る。だが、真田家が織田に臣従して間もなく信長は本能寺の変に倒れる。明智兵に追われた松は琵琶湖に身を投じる。
信濃は信長の死によって、支配する大名がいない権力の空白地となった。北条氏政・徳川家康・上杉景勝ら周辺の大名が信濃進出を狙って動き出す中、昌幸は独立した大名となることを決意。時に非情な策略を用いながら大大名たちの間を巧みに泳ぎ回っていく。
天正壬午の乱では、昌幸は盟約相手を北条から家康に乗り換え、劣勢だった徳川方は盛り返すが、徳川・北条は和睦してしまう。家康に上野沼田城を北条に返還するよう要求された昌幸は、その見返りに、家康に対上杉の拠点と称して信濃上田城を築かせる。しかし沼田城を明け渡さなかったことで真田と徳川の関係は悪化し、昌幸は次に上杉に頼る。信繁は人質として赴いた越後で上杉景勝に気に入られる。
真田討伐のため家康は7千の軍勢を上田城に差し向けるが、昌幸の戦術の前に大敗を喫し、真田の名は諸国に知れ渡る。しかし、信繁は戦の中で最愛の妻・梅を失う不幸を経験する。
大坂編(第14 – 31回)
畿内・西国では信長の後継者として羽柴(豊臣)秀吉が勢力を拡大していた。小牧・長久手の戦いで一度は秀吉を退けた家康をはじめ、真田、上杉、北条にも臣従せよという圧力がかかる。景勝は秀吉からの要請を受け、側近の直江兼続と信繁と、信繁を追ってきたきりを連れて上洛する。接待役の石田三成に迎え入れられた景勝は、臣従を受け入れ帰国する。信繁は秀吉に気に入られたことで、馬廻り衆として大坂に残るように命じられる。大坂城では三成から後に岳父となる大谷吉継を紹介され、そして信繁の運命に深く関わる女性・茶々に翻弄される。加藤清正や福島正則らを従え、陽気で気さくでありながら自己中心的かつ冷酷な顔も備える秀吉のもと、彼の意向次第で一歩間違えれば死が待つ綱渡りの日々を送ることになった。秀吉の甥である羽柴秀次に気に入られていたきりも、秀吉の正室の寧に仕えはじめる。
家康は態度を明らかにしない昌幸に対して秀吉からの真田征伐の許しを得、またしても真田に存亡の危機が迫るが、合戦直前の秀吉の命により真田は救われる。さらに秀吉は手段を選ばぬ外交戦術により上洛させた家康にも臣従を誓わせることに成功する。ここに至りようやく上洛を決意した昌幸を待っていたのは、徳川の与力大名になれという秀吉の命令だった。昌幸は落胆するものの、死んだと思われていた松を信繁が見つけ出しており、共に上田へと戻ることができるという喜びを得る。しかし、家康から、徳川家の猛将本多忠勝の娘稲と信幸の縁談を押し付けられ、信幸は、妻のこうと離縁することになってしまう。
朝廷から関白職を与えられ、名実ともに天下人となった秀吉から側室となるよう嘆願された茶々は了承し、懐妊。だが、茶々の子の父親が秀吉ではないと揶揄する落書に秀吉は激怒し、周囲が抑えられぬまま苛烈な処罰を決行させる。秀吉を支え諫めてきた弟秀長も病を得ており、豊臣家の将来に不吉な前兆が現れはじめていた。
九州を平らげ、西国・東海を治めた秀吉だったが、関東の覇者である北条氏政はまだ上洛要請を受け入れようとはしなかった。家康からの忠告に心揺れた氏政は、上洛の条件として改めて沼田領の譲渡を要求。秀吉臨席のもとで沼田の帰属を明らかにする会見の席が設けられ、北条からは板部岡江雪斎が派遣され、本多正信が家康の代理となり、昌幸は信繁を代理に立てる。信繁は江雪斎と堂々と渡り合ったが、秀吉の裁定で結局、沼田城は北条方に譲渡されることになる。せめてもの抵抗として名胡桃領を得た真田だったが、北条方の武将が名胡桃城に侵攻してしまったことで、惣無事令を破ったとして北条征伐が開始される。
家康・秀次・景勝・昌幸・信幸らも豊臣軍として北条に迫り、支城が次々と攻略される中、氏政は小田原城に籠城し、奥州の伊達政宗の救援を待っていた。しかし到着した政宗は秀吉に臣従を誓う。家康の命で密使として小田原城に潜入した信繁は氏政と対面する。進退窮まった氏政は開城を決意。氏政は切腹、氏直は出家して高野山送りとなり戦国大名北条家は滅亡する。秀吉の天下一統はここに成し遂げられ、昌幸は秀吉から沼田領を加えた本領を安堵された上、徳川与力を免ぜられ、家康は三河・駿河から関東の旧北条領へと転封となった。一方で信繁が小田原城に潜入した際に回収した鉄砲に使用する鉛が、利休が納入したものであることが発覚。秀吉が利休を重用する現状に危機感を募らせていた三成と吉継はこれを好機とし、病床にある秀長の協力を得て利休を切腹へと追い詰めたが、秀長もまた世を去った。
秀吉と茶々の子の捨が亡くなり、秀吉は海外の国である明を攻める事を決める。その足がかりとして朝鮮へ攻め入ることになり肥前名護屋に城を普請し、全国の大名は次々と朝鮮へと渡海していく。戦況が悪化する中で信繁の祖母のとりがこの世を去り、茶々は二番目の子である拾を産む。秀吉は関白の座を秀次に譲り、自らは太閤として君臨することとなる。秀次は重圧に押しつぶされそうになりながらも関白としての勤めを果たしていき、信繁に左衛門佐、信幸に伊豆守の官位と共に兄弟に豊臣姓を授ける。
自分が秀吉にとって拾の立場を脅かしかねない邪魔者となっているのではという疑心暗鬼に耐えきれず失踪した秀次が自害し、期待を無碍にされたことで秀吉は激怒し、秀次の妻子ら三十人以上が処刑された。信繁は身を隠していた秀次の娘たかを救うため、秀吉から命じられた吉継の娘春との縁談を受ける条件としてたかを側室とする事を申し入れし、了承を得てたかを呂宋へ逃し、春を正室として迎えた。
秀吉は漂着した南蛮船を接収するための方便としてキリシタンを弾圧し、講和の不調から朝鮮への再侵攻を決める一方で、この頃から発言の不一致や記憶の欠落や諸将の面前での失禁の醜態といった耄碌を晒すようになり、また死の恐怖におびえるようになる。三成は苦肉の策として五歳の拾を元服させ秀頼と名を改め忠誠を誓わせることで事態の収拾を図るが、醍醐寺の花見の場で秀吉が木から転げ落ちるという事故を起こして寝たきりとなり、秀吉亡きあとの政治体制についての遺言状を巡り三成と徳川による追記合戦が繰り広げられる。死の床にある秀吉がせん妄状態で「家康を殺せ」と訴えたことで、三成は昌幸に家康暗殺を依頼し、配下の出浦昌相に命じるも、失敗に終わる。そして太閤秀吉が没する。
三成・九度山編(第32 – 41回)
生前の秀吉は自身に何かあった時は家康・景勝ら5人の老衆(おとなしゅう)と三成をはじめとした五奉行による合議制で政を行うよう取り計らっていた。信繁は秀吉の生前の願いもあり三成の配下となる。家康を天下人としてのし上げようと目論む正信と家康側室の阿茶局は諸大名の取り込みと、政治に疎い寧を始めとした大坂の調略を始めていた。三成も対抗して宴の席を開くも事はうまくいかず、家康が諸大名との間で許可なく縁組を行った件を糾弾するも、逆に奉行の分際で覇権を狙っていると決めつけられる。三成は家康討伐を決意するが、豊臣家の同意は得られず、大方の豊臣方諸将に加えて、盟友清正・吉継と軍略の師として仰ぐ昌幸が徳川方に付くことになり、さらに追い詰められてしまう。それでもなお討伐を諦めない三成だったが、信繁と徳川打倒を表明した景勝の説得を受け断念する。しかし、この一件が家康に天下人への野望を抱かせ、徳川による天下獲りが開始する。
秀頼の後見人であった前田利家が他界すると、豊臣恩顧の大名たちへの抑えがなくなり、三成に反発する正則・清正をはじめとする7人の武将による三成襲撃事件が勃発する。信繁は三成を助けようと奔走するが、寧や茶々に助力を拒まれたことで、7人を鎮めるため家康に頼らざるを得なくなる。責任を取る形で三成は奉行職を解かれ、蟄居に追い込まれる。信繁もまた三成より暇を出され真田の家に戻る。家康は伏見城に移り、大きな権力を手に入れることになった。それから一年経った頃、上杉による家康を弾劾する書状が送られる。家康は上杉に謀反の疑いありとして、豊臣配下の諸将を率い会津征伐のため出陣することになったが、大坂に残っていた宇喜多秀家を始めとした反徳川勢が蟄居していた三成を迎え入れ、秀頼を奉じた体裁で、徳川を討伐するために決起する。
三成に与した吉継は味方を増やすため、諸大名に決起を促す書状を送り、徳川勢に従軍していた真田軍にも吉継からの書状が届く。三成の旗揚げを知り、機を見て上杉に寝返ることで家康を討つという目論みを断念せざるを得なくなった昌幸・信幸・信繁の3人は、下野犬伏にて今後の対応を協議することとなった。信幸は自らは徳川に付き、昌幸と信繁が豊臣に付くことで、どちらが勝っても負けた方に付いた者の助命を成すことで真田と親兄弟が生き残る道を提案し、戦が終わったら再び親子3人で会うことを誓い合う。徳川秀忠率いる徳川軍が裏切った真田を攻めにきたことで、昌幸と信繁は徳川軍と再び上田城で戦うことになった。初陣の秀忠は小競り合いに焦れて総攻めを敢行しようとするが、徳川勢に付いた正則が三成側の岐阜城を落としたことで西国の状況が緊迫したため、東海道経由で進軍していた家康からの知らせを受け、上田攻めを中止し家康隊との合流を目指して撤退する。徳川と真田の戦いは回避されたが、昌幸と信繁は、家康と三成が関ヶ原で対峙したその日の内に徳川の大勝利で終わってしまったことを知る。
吉継は自刃し、敗走した三成は捕えられ処刑された。大坂を抑えた家康は昌幸と信繁は改易の上で死罪と決めていたが、信幸と忠勝の助命嘆願を受け、死を免じて流刑とする代わりに、信幸に昌幸と親子の縁を切ることと、諱から父から受け継いだ「幸」の字を捨てることを命じ、信幸は止む無く受け入れる。信幸は自身の意地から読み方は同じである「信之」に改名して真田領を引き継ぎ、昌幸と信繁は高野山の麓の九度山に送られ、真田親子3人それぞれの新たな生活が始まることになった。
関ヶ原より3年後、朝廷より征夷大将軍に任ぜられた家康は江戸に幕府を開き、2年後には秀忠へ将軍職を譲る。信之は家康に昌幸と信繁の赦免の要請を続けるも、家康も秀忠も許可を出すつもりはなかった。関ヶ原から数えて11年の時が過ぎ、信濃に帰る日を待ち望んでいた昌幸は九度山で往生を遂げ、その2年後に母・薫も江戸で死去する。信繁は春との間に長男の大助と次女の梅、次男の大八を授かるが、昌幸の生前の借金が重なり生活は困窮していた。関ヶ原から14年後の秋、呂宋で商人となったたかが信繁に会いに九度山を訪れ、土産として持って来たサナール紐から着想を得て真田紐を考案し、九度山村の住人に作り方を教える代わりに売上の一割を得ることで生活は上向くようになる。何年ぶりかの豪勢な夕食が並んだその夜、宇喜多家家臣であった明石全登が信繁を訪ねる。
明石に連れられた先に待っていたのは豊臣を離れざるを得なくなった片桐且元であった。片桐から再建した方広寺の梵鐘の銘文を巡る騒動によって徳川と豊臣の関係が悪化し、徳川が大坂を攻め入る事になるのも時間の問題だろうと語り、信繁に大坂に入城するよう要請する。今の暮らしは厳しいながらも幸せだとして一度は入城を拒むが、きりの叱咤とこれまでの半生を振り返り、大坂入城を決意した信繁は、信之が捨てざるを得なくなった諱の「幸」の字と、大助がくじを引いて選んだ九度山村の「村」の字を合わせて「幸村」に改名する。信之は、稲の進言も受け、稲との子である次男の信政ではなく、こうとの子である長男の信吉を跡継ぎに決める。
幸村は家族全員を九度山から脱出させるために宴会を開き、監視の目を欺くことに成功。大坂城に入城した幸村は木村重成に対し「真田左衛門佐幸村」と高々と名乗り、茶々と再会した。
大坂の陣編(第42 – 50回)
「真田」が大坂に入ったと知ったこともあり、家康は出陣を急がせる。信之の元にも出陣の命が下るが、病床の身であることから信吉と信政、傅役に家臣の小山田茂誠と矢沢三十郎頼幸を秀忠の軍に従軍させる。幸村が大坂に入城した事を聞き、堀田作兵衛は与八と共に信之の制止を振り切り大坂に向かう。その後、幸村と信吉達が戦うことを良しとしない信之は、松を密かに大坂に向かわせ、信吉たちに一族相撃を避けるよう指示を下す。さらに正則と平野長泰から大坂城へ密かに兵糧を送る計画に参加するよう要請されるが、稲と昌相の猛烈な反対もあり兵糧は送るが真田は無関係という形で収められた。
大坂では幸村を牢人衆10万を率いる大将とする案に対して後藤又兵衛と毛利勝永から激しい異議が唱えられ、幸村・又兵衛・勝永・明石・長宗我部盛親の5人がそれぞれ2万の兵を率い、総大将として秀頼を擁立することで問題を解決する。続いて幸村が提案した大坂を出て京へ攻め入り家康を討つという策に対し、籠城すべきとしていた又兵衛は説得を受け考えを改め、秀頼も攻め入ることを賛同する。しかし、大坂を空けることを良しとしない茶々の反対によって豊臣の策は籠城と決し、幸村は大坂城における唯一の弱点でもある平野口に出丸を築き徳川を迎え撃つことを決め、出丸の普請を始め、幸村の軍備えの色を赤で統一するよう指示を下す。紆余曲折を経て完成した出丸を幸村は「真田丸」と名付ける。
家康が真田丸を攻めることを命じた恩義のある上杉と真田との戦闘を避けるため、幸村は真田丸の目の前に陣取る井伊と前田の軍を挑発し撃退する策に打って出る。初陣となる大助の活躍により前田が挑発に乗り、井伊の軍も真田丸に攻めるが幸村の采配によりこれを撃退。真田丸を巡る戦いは豊臣の勝利に終わり、上杉の陣にて幸村の采配を聞いた景勝は「真田左衛門佐、日本一の兵」と喝采を贈る。家康はイギリスから購入したカルバリン砲の準備を整える一方、豊臣方への調略や内通者への働きかけといったあらゆる手を繰り出す。幸村はこれまでの戦いで幕府が手薄な砦を的確に攻め落としたことに疑問を抱き、織田有楽斎の調査を始めるが、徳川のカルバリン砲の準備が整い、放たれた砲弾が天守閣へと当たり茶々の侍女が犠牲となったことで事態は急変し、和睦の場が設けられることになる。幸村は本多正信の知略を避けるために、女性を交渉役とすることを提案したものの、阿茶局の巧みな交渉によって、幸村の指名した初は何もできぬまま随伴の大蔵卿局が賛同した表向きは豊臣の要望を汲んだ形ながら、豊臣に不利な条件を付け加えた講和が纏められてしまう。幸村は大坂城の堀が全部埋められ、真田丸も取り壊されたことでこれ以上続けることは難しいと判断し大坂城を去ろうとするが、牢人衆と秀頼の説得を受け大坂に残ることを決める。また、有楽斎は徳川と内通していたことが露見し大坂を去る。
豊臣と幸村は講和による休戦期間を利用しいずれ起きるであろう次の戦のための準備を始め、秀頼は次の戦の後は茶々と共に大坂を出て四国の大名になるという夢を抱く。あくる日の夜、大野治長の弟の治房が治房を慕う牢人衆に対して蔵の中にある金銀を分け与える事件が起きる。不平不満を抑えるために全ての牢人に対して金銀を分け与えることにしたが、この行動が裏目に出てしまい牢人達は街に繰り出し武器を買い揃え、治房とその取り巻きが埋められた堀を掘り返すという行動に出てしまう。家康は牢人衆が戦の準備を進めていることを聞き全国の大名に号令を掛け大坂への出陣を命じる。前回の戦いとは違い籠城では勝つ見込みがないことから野戦による決戦を選ばざるを得なくなる。
豊臣と徳川の戦は樫井での戦いから始まり、塙団右衛門が討死する。家康が大和路を経由し大坂城に攻め入ると予測し道明寺に主力を配備した幸村らの策は、もう一人の内通者の手によりすでに筒抜けであった。家康本隊は河内路を進行し、道明寺では又兵衛、若江・八尾では重成が討死し盛親は行方不明となる。道明寺から撤退する幸村は政宗に対して挑発の態で問いかけると、政宗は「弾は尽きた」と答え伊達軍の追撃を止める。伊達は信用できると見た幸村は書状を送り、春・梅・大八の三人を匿うよう依頼する。政宗もそれに応え3人は密かに大坂城を去る。
秀頼も出陣する手筈が整えられ、最後の戦いに臨むこととなった幸村は、もう一人の内通者であると探り当てた台所頭の大角与左衛門を問い詰めるが、与左衛門は秀吉への怨嗟を吐露し自害を図る。戦闘は勝永・治房らの奮戦もあって豊臣側が優勢で進む。だが、治長が豊臣家の馬印を持ったまま帰城したことで雑兵たちが秀頼が敗走したと誤解し、瀕死の与左衛門に偽わられた大蔵卿から幸村が裏切ったと聞かされた秀頼が躊躇し出馬の機を逸した上に、与左衛門が台所に放火し大坂城から火の手が上がると豊臣軍は混乱。幸村に本陣へ攻めかかられ、自害まで口にした家康はこの機を逃さず反攻に出る。大坂城が徳川軍に攻められる中、高梨内記と作兵衛が討ち死にする。きりが幸村の最後の策を実現するため千を連れて城を脱出し徳川の陣へ向かう中、幸村はただひたすらに家康の首を狙い馬を走らせる。幸村は馬上筒で家康を追い詰めると、家康も逃げ隠れせず、お互いに思いの丈を訴え合うが、幸村は救援に駆けつけた秀忠の軍から先に左手と右肩を撃ち抜かれ、討つことが叶わなかった。政宗や景勝に見送られながら敗走し、人気のない社へたどり着いた幸村は精も根も尽き果てて自害を決め、佐助に介錯を頼み、大切な人々を思いながらその眼を閉じた。
信之は最後の戦いの前に幸村と密かに会った大坂からの帰途、江戸へ戻る正信と偶然出会い、彼の領地である玉縄に立ち寄った。正信のもとに大坂から火急の使者が訪れたとの報が伝わった時、信之の持つ守り袋の六文銭が鳴った。すべてを覚った信之は、新たな歩みを踏み出し国へと戻るのだった。
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